離婚について考える⑤
2.離婚の原因は何?(Part3)
こんにちは。ワセカープです😊
過去2回にわたり、離婚の原因は利己的個人主義であること、またその理由について書かせていただきました。
今回は、利己的個人主義が離婚の原因になる3つめの理由について書こうと思います。
③利己的個人主義は、親としての責任を放棄することを正当化するから
利己的個人主義が離婚の原因となる第三の理由は、利己的個人主義は、家族や社会のことを考えずに自分だけの利益を追求することにつながるため、親としての責任を放棄することを正当化するからです。
もともと、両親には子どもを快適な環境で育て、教育し、保護する責任があると思います。
しかし、利己的個人主義は個人の権利だけを至上のものとすることで、親としての責任や義務を放棄することを正当化してしまう場合があると考えられます。
以前の記事にも書きましたが、9割以上の日本人学生は、「離婚して幸せになれるのなら離婚してもよいと思う」と考えています。
その一方で、離婚が子どもに与える影響に関しては、約9割の人が、
「離婚すると子どもにストレスがかかる」
「子どもには両親がそろっていることが必要である」
と考えています。
(出典:https://www.syaanken.or.jp/wp-content/uploads/2012/05/sh1434p21-25.pdf)
夫婦仲が上手くいかなくなったとき、自分だけの感情を優先するのか、それとも子どもや家族のことを考えるのか、で離婚に対する決断も変わってきそうですね。
そして、利己的個人主義は、「子どもにとっては両親がそろっていることが最善かもしれないけれど、自分が離婚したければしてよいのだ」という考え方を正当化してしまうのではないかと考えられます。
離婚するもしないも個人の自由というわけです。
しかし、本来自由とは、したいことをなんでもできるという意味ではなく、そこには責任や義務が伴うことをしっかり知らなければなりません。
日本国憲法にも、国民に保障される自由と共に果たすべき責任について記述されています。
例えば、第十二条には、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」と記されています。
また、第十三条には、「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」とも書かれています。
(出典:日本国憲法)
ちなみに、「公共の福祉」は、「社会一般に共通する幸福や利益」という意味合いで使われています。
(出典:公共の福祉(こうきょうのふくし)とは - コトバンク)
つまり、誰しも個人としての自由や権利は保障されますが、それと同時に、より大きな社会の幸福や利益に貢献する責任があるということです。
家庭は社会の最小単位ともいわれるように、 親は、まず家庭において家族全員が幸福になるように責任を果たすことが大切だと考えられます。
また、結婚に関しては、憲法第二十四条に「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」と書かれています。 (出典:日本国憲法)
へぇ~こんなこと書いてあったんですね(@ ̄□ ̄@;)!!
夫婦がお互いに協力し合い、夫婦関係を維持する責任があるということですね。
まとめ・感想
一人の人間としての個人の権利を優先するのか、家族や社会など全体のことを優先するのか、難しい選択ですね。
「個人の自由・権利」と「全体の幸福・利益」のバランスって本当に難しいと考えさせられます。
それに人間は誰しも利己的な一面をもっているので、「家族や社会のための幸福」とか「親としての責任」と言われると多少の反発心はあるのではないかと思います。
しかし、以前の記事で「利他的精神は自分自身の幸福として返ってくる」と書いたように、個人の思考や行動も相手を喜ばせることを前提とすれば、個人の自由と公共の福祉が対立しあう存在ではなくなり、もっと調和していくのではないかと感じました。
利己的個人主義だと、自由を求めれば求めるほど政府や学校などの組織からの規制がどんどん強くなるように感じてしまいますが、「周りの人を喜ばせたい、社会に貢献したい」という利他的精神が養われれば養われるほど、実は、どんどん自由になり、家庭や社会における責任も自然と果たされていくのかもしれませんねヽ(^o^)丿